助産院で水中と陸上で 最終的に4人出産したお話

30歳目前で初めての子供を出産して、その後なぜか3年ごとに出産

合計4人の子持ちになりました、てんでございます。

 

助産師を5年勤めて退職し、出産時は無職でした。

そんなわたしが助産院で4、人の子供を出産した記録を

ここに記したいと思います。

単純な経験録でございます。

 

 

 

妊娠~助産院に行くまで

お産にあこがれて助産師になり田舎の総合病院に就職しましたが

現場ですっかり幻滅し、半ば燃え尽きて退職しました。

 

その後、夫と知り合って妊娠。

「いよいよ初めての妊娠生活だ!」

病院での出産に幻滅していた私は助産師学校の実習で その魅力に

すっかりとりこになっていた助産院にターゲットを向けました。

 

ラッキーなことに新居の近くに、なんと二ヶ所も助産院があったのです。

 

最寄の助産院に連絡したのはすでに予定日の1ヶ月前でした。

今思うと、よくぞまぁ受け入れてもらえたものです。

 

 

いざ出産~水中?陸上?

じつは水中出産についてはわたしは学生時代から就職してからも一貫して

「気持ち悪さ」を抱いていました。

根拠はなくて、なんとなくでしたけどね。

 

実習中には水中出産を学ぶ機会はなかったので、実際には自分で体験して学んだ形です。

 最終的に水中で生むかどうかは、その時に自分で決定できました。

 

どうして水中出産に決めたのかですが

わたしはふだん生理痛があるのですが、その時は腰が痛くなり、温めると

楽になるのです。

 

そういう経験はあったので、実際に陣痛が始まってきたなーって

ときにまず自宅で入浴してみました。

すると、期待通りに痛みが軽くなったのです。

 

ということで、いざ生まれるという時には まよわず水中出産を選びました。

結果として いやー、よかった!

 

分娩台で出産された方にお伝えするなら、

「もうちょっとだから、いきむのがまんして。」

とか

「子宮口が全開になったよ。いきんでいいよ。」

という

あのつらい段階で プールに入りました。

 

さすがに痛みがなくなりはしませんが、わたしは体が軽くなったような感じがして

力が抜けて 楽になりました。 

浮力の影響もあったと思います。

胎盤はプールから出てベッドで先生に出してもらいました。

 

3人目妊娠中に【産科医療保障制度】が始まり、水中出産が

その適応とならないことから残念ながら産院では陸上出産になりました。

というわけで

3人目と4人目は陸上(入院中すごす普通のベッド)での出産でした。

夫、上の子達も立ち会いました。

やっぱり水中のほうが体が動けてよかった、のが最終的な感想です。

 

出産入院~産後健診まで

一人目の出産のときにうれしかったのは パジャマから下着まで

すべて毎日交換して洗濯と乾燥までしてもらえたことでした。

里帰り出産でもなく、遠くではないにしても両親も働いていたこと、

夫は20時以降にならないと帰宅しない、そんな環境には

本当にありがたいの一言でした。

これは、ほかの食事や家族付き添いなどと同じように

施設によって違いがあると思います。

第2子以降は、何日か上の子も一緒に泊まりました。

子供の洋服も洗濯してくれたんです…。食事もいただきました。

退院は産後5日目くらいでした。

産後健診は40日目ころで、それまでに産院のスタッフが家庭訪問してくれます。

そのほかでは おっぱいの手当てが非常に助かりました。

わたしは非常にひどい乳腺炎をなんどもなんども起こして通院しつづけました。

もちろん産後に初めて乳腺炎になって、自分がなりやすいとわかったのです。

母乳に関しては 助産院でつないでもらったとしかいえません。

 

 

最後に

夫も言っているのですが、この助産院でなかったら四人は生んでなかったと思います。

一人目で出産よりもつらいと思った乳腺炎になり助けてもらったこと。

健診も混んではいるけど、毎回先生としっかり話ができる。

たくさんの魅力がある産院での出産でした。