助産師学校受験に失敗、看護学校卒業後に就職して助産師学校の浪人をした話

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こんにちは総合病院で働いている子持ち助産師てんです。

 

わたしの経歴など、泥にまみれ地べたを這うようなもので、誰かにお知らせする価値などあるとは思わずにいました。

 しかし夢を抱いて助産師となったわたしの、その時それまでの道のりは誰とも同じことはないということが分かりました。

 浪人して助産師学校に入ったわたしは、看護学校の同級生がストレートで助産師となり就職していた病院に1年遅れで採用されました。そんなことももしかしたら誰かの役に立てるのかもしれない、そう思ってこの記事にまとめる事にしました。

 この記事では最初の助産師学校受験から浪人して就職、再受験までをまとめています。

 

助産師浪人になるまでの経過

助産師を目指している人はご存じだと思いますが、助産師になりたければ看護師の国家資格を取れる状態で助産師学校に進み、資格を取らなくてはなりません。

助産師も国家資格で、厚生労働大臣からの免状をもらうのです。

 

助産師になるための専門学校か大学へ入るためには受験が要ります。ここで入試に挑むのですが、わたしは3年制の看護専門学校から助産師学校への入試に合格する事が出来なかったのです。(この時の受験にもアクシデントがありましたが、後に別記しました。)

つまり、看護学校は卒業できるけどそのあと行き先がない状態になりました。さらに当時、看護師国家試験の合格発表はなんと4月の下旬でした。つまり3月に看護学校は卒業する、でも合格発表までは看護師ではないということです。かなり昔の話ですが、みんな合格見込み者として就職していくの普通でした。

 

 わたしも助産師学校受験をすると同時に就職先も考えておけば良かったのですが、それをしなかったのです。なぜなら「わたしは絶対に受かるから、保険なんかかけねぇぜ」という若さゆえの浅はかな勢い優先の考えだったからです。このころの気持ちは良く覚えていますが、もしいま当時の自分に言う事があるとしたら「まぁ好きにしたらいいんじゃない(笑)」とやっぱり思います。

 

「ぜったい助産師にはなる」と決めていたので不合格の結果にはさすがに落胆しました。ですが「また来年受験するぜ!」と息巻いてもいました。「じゃあ1年どうするの?」って学校の先生からも言われて「……。」うなだれるわたしに、やれやれといった様子の先生は附属先の病院への就職口を案内してくれたのでした。

 

こうしてわたしの助産師学校浪人が決まりました。

ここまで看護学校3年生の3月上旬、補欠合格の報せもなく最終的に不合格が決定したころの話です。

 

浪人中はただ看護師として働いていた。

看護学校の卒業式を終え、助産師学校に進学していく同級生にはなむけの言葉をおくりつつ自分は実習先でもあった病院へ採用されました。

看護学校で3年間一緒に勉強した同級生も1/3ほどは同じ病院へ入職しました。良く知る施設、良く知る指導者(看護師)の居る施設で4月1日からなんとか無事に働けるようになったのです。

 

就職時には他の企業と同じように一応、希望する配置先を聞かれます。必ず希望通りにはいきませんが、看護師であれば、内科、外科、整形外科、手術室、病棟、外来…などなどです。わたしは助産師志望だったので、産科や婦人科があれば良かったのですが両方ありませんでした。産科がないため小児科も志望する内容でなく、結局配置されたのは内科病棟でした。

4月下旬には看護師国家試験の合格発表があり、めでたく合格。それまでは単なる看護学校を卒業した無資格の人でしたが、晴れて【看護師】となったのです。これと同時にお給料も上がりました。これが一番うれしかった。

そして資格上は夜勤にも入れるということになりましたが、業務の練熟度が上がらなければならず必死な毎日を送っていました。

糖尿病や呼吸器系の病気の主に高齢者の多い病棟で、徐々に3交代をするようになりました。

そして看護師として患者さんや家族とのかかわりや看護技術を学んでいきました。

 

肝心の受験勉強は1年前と同じ

さて秋が深まるころ、助産師学校の受験の手続きを始めました。受験する学校は近畿管内だけでなく中国地方まで含めました。助産師学校看護学校よりも数が少なく県内にひと施設あるかないかという状態、また定員も30人ほどのところが多かったです

とにかく助産師学校に入るそのことだけが目標だったわたしは、それでも実家から近く親の負担が少ないようなところを選びました。学費の面から私学は視野に入れず国公立だけを目指しました。

学習内容は1年前の資料と同じ、受験も二度目なので取りこぼしのない様にがんばりました。

 そして一年の浪人(社会人)生活の後、助産師学校に入学できたのでした。

そこでの生活はまた別に書きたいと思います。

阪神淡路大震災と受験

 じつは助産師学校の最初の受験前日に阪神淡路大震災が起きました。

阪神高速道路が橋脚ごと倒れたり、長田の商店街が火災にみまわれたあの地震です。看護学校三年生の実習生活も終わりが見え始めた頃。神戸市の近隣に住んでいたわたしは翌日に大阪にある学校を受験する予定でした。

わたしは明日の試験が予定通り実施されるのかを助産師学校へ問い合わせました。すると、なんと予定通り実施するとの返事でした。

通常であれば受験会場である学校までは電車などで1時間半あれば余裕を持って行けるのですが、地震のために鉄道は完全に停止、もちろん高速道路も利用できなくなっていました。余震も続き翌日に復旧するはずもなく、そうこうする間も実習先の病院へはつぎつぎと救急車が到着している状況でした。

 わたしの両親も私も車の運転免許を持っていなかったので知人にお願いして、地震当日看護学校の授業後試験会場近くまで送ってもらいました。下道でも1時間半のところ避難や支援物資運送の車の渋滞のために4時間かかったのを覚えています

夜に宿泊先に到着し睡眠時間もなかったのですが、当日は試験に来れなかった受験生もいました。

こんな状況での受験でしたが、それでも不合格だったのは私の学力不足ということに変わりはありませんでした。

 

非常に昔の話で、震災との関連も忘れかけていました。父が入院していたことや、母が震源地にいて1週間連絡がつかなかった事も心が痛かったのを思い出しました。結果無事でしたのでご報告まで。

 

まとめ

ここまで読んでいただき、有難うございます。

実際に浪人して何をしたら合格できるのかという話はできませんでしたが、こういうケースもあるんなら自分も頑張ってみようかなと思える誰かがもしもいたなら幸せです。

 助産師っていいですよ。最初は自分が妊娠や出産していないことが気になって、妊婦さんに偉そうに話していいのかなって思っていました。でもリードすることだけが役割じゃない事、一緒に進んでいくことが役割でもあるんだって思って今日まで成長させてもらっています。

 未来の助産師や夢をシフトした人、みんなが幸せであってほしいと願っています。

以上、子持ち助産師てん でした。